2月
人間の生命力と健康は・・・?
2019/02/18
外国版トピックスによると、タイで行方不明になっていた56歳の女性が7ケ月後に中国の昆明で発見されたということです。ただ、この女性が中国までどのようにしてたどり着いたのかは分かっていません。なぜなら、途中には国境があるだけでなく距離的にも700㎞も離れた土地である上にもともと認知症に罹っていたことから、話の要点が得られないのです。しかし、20㎏痩せていただけで元気だったそうで、人間の持っている潜在能力というか生命力というか、とにかく「~だから」と一概に決められないものがありますよね。また、これと同じトピックスにハワイ州における議会の提案も載っていましたが、これは「タバコの購入許可年齢を引き上げよう」という内容で、こちらは笑いました。というのも、その許可年齢が100歳だったからです。現在ハワイ州では21歳からタバコが購入できるそうですが、それを段階的に引き上げて、「数年後には100歳にしよう」というのです。その理由(「我々は人間の健康に対して気を配らなければならないから」)については納得しますが、それが100歳ということは結局《タバコの購入を禁止》することですよね。まぁ、《嫌煙》の私ですからそれもいいですが・・・。

花の成長を楽しむ=情操教育?
2019/02/17
「安倍総理がトランプ氏をノーベル平和賞に推薦」ということに対して「トランプ氏の方から推薦依頼があった」とか「韓国の文大統領のことを言い間違えた」とかいろいろと記事が出ていますが、日本側からの説明がまったくないために、国民にとってはそれこそ《籔の中》的状態です。本当に《国民の知る権利》はどこにいったのでしょうかねぇ。
まぁ「ごまめの歯ぎしり」はその程度にしておいて、窓辺に置いているアマリリスの成長を見るのが毎朝の日課になっていますが、今日の新聞にはひな祭りにかけてアマリリスの水耕栽培が載っていました。水耕栽培は球根を専用のガラス容器に入れておくだけでいいため、子どもでも出来る簡単な方法です。私も以前にアマリリスの球根を容器に入れて育てた(?)ことがありましたが、硬い球根から少しずつ薄緑の葉が出てくる様子や花芽が顔を覗かせてくるのを見た時には、本当に《感動》ものです。そして今、窓辺で伸ばしている2本のアマリリスの花芽が同じような高さにまで育っているのを見ると、「どんな花が開くのだろう」とワクワクです。これも亡母が言っていた《情操教育》の成果かもしれませんね。今朝は、この倍近いところまで伸びていますよ。

玄関に花を飾るわけ
2019/02/16
昨日の仏婦研修会では、ご門徒の逝去から始まって弔辞に使う表現(「ご冥福をお祈り~」)の間違い について説明し、最終的には「一息ついてから叱る」「自分で考えてから話す」ことの大切さを話して終わりにしました。
ところで、当寺では玄関にいつも花を切らさないようにしていますが、これは「来客が入られた時に、ホッとした気持ちになってほしい」という思いからです。慣れている人でしたら緊張はしないでしょうが、やはり「お寺の敷居は高い」と思う人もおられます。それを解消するためにいろいろな行事をしているお寺と同様に当寺もいろいろなことをしていますが、やはり一番は、玄関を入った時にホッとする空間を作ることだと思っています。花を飾るのもそのためですが、時期によっては適当な花がないこともあります。そんな時には鉢植えを飾ったりしますが、今回は生花にしていた桜に百合やキンセンカを使って盛り花にしました。それこそ《適当》に活けたものですが、ホッとしてくれますかねぇ。

婦人会の仲間が急逝されました
2019/02/15
八頭町の大樹寺には樹齢450年の有楽椿があってこの時期になるといつも新聞に載りますが、当寺にもおなじウラク椿が咲いています。ただ昭和27年の鳥取大火後に亡母が植えたものですから、樹齢60年くらいですかねぇ。もっとも、側のサルスベリの方が大きくなったために、その横で小さくなっていますが・・・。
今日は今年になって2回目の当寺の仏教婦人会研修会があります。内容はいつもと同じですが、今回は熱心に参加しておられた会員の方が急逝されたこともあり、哀悼の意を込めて読経中に皆様に焼香をしてもらうことになっています。その方が当寺と関係を持たれてからわずか3年半でしたが、仏婦研修会を初めとしてお盆やお彼岸の法要、年2回催される法座等には時間の許す限り参加され、仏婦研修会などには手作りのおはぎなどを持参されて皆に振る舞っておられました。また、山草の会の一員として展示会に作品を出品するだけでなくて裏方としても頼りとされてきました。心より哀悼の意を表します。

どうして人間は成長しないのでしょうか
2019/02/14
昨日まで無事に打ち込めていた『独り言』が、今朝から急に打ち込み不可!そのためにソフトの本社に連絡を取って 何とか打ち込みが出来るようにしてもらいましたが、新しい方法に慣れるまでは大変です。
ところで、窓辺で伸びているアマリリスのようにどんな花も寒さに負けないで成長しているのに、どうして人間は成長しないのでしょうか。と言うよりもむしろ《退化》しているのではないかと思えるほどで、我が子に対する暴力・虐待を《しつけ》と言い張る親、SNSに《いいかっこ》と思って不適切動画を載せる若者、体調を崩した人を介抱している女子高生に暴力を振るう年配の人等々、枚挙に暇がありません。まぁ、「『五輪憲章』など読んだことはない」と堂々と言い切る五輪担当大臣がいる国ですからそれも当然といえば当然なのでしょうが、こんな国で「若者に夢を与えよう」と言っても空々しいだけですよね。

病気の治癒に専念してください
2019/02/13
窓辺に置いているアマリリスは5日前の写真と比べて花芽が2本も伸び、短い方でも20㎝、長い方は35㎝にもなりました。蕾も心なしかふっくらとしているので、開花まで数日かもしれません。暖冬とは言っても外の空気は冷たく、やっと芽を出し始めたばかりのチューリップと比較してそれだけ窓辺が暖かいということでしょうね。とは言っても、廊下はやはり冷たい空気であふれていますが・・・。そのような中、昨日は驚くべきニュースが2つ飛び込んできました。一つは大坂選手がサーシャコーチとの契約を解除したというもので、もう一つが水泳界のホープである池江選手の白血病です。大坂選手の方は「もう一つ上の段階を目指したい」ということが理由のようですから、苦労はするでしょうが新しい将来を見据えての決断でしょう。しかし、池江選手の方は病魔との戦いになります。確かに現代医学の進歩はめざましく、かつては《不治の病》のように恐れられていた白血病も今では高い治癒率を誇っていますし、現に完治して活躍している俳優やスポーツ選手が何人もおられます。池江選手にも大切な大会があるでしょうが、今は先ず病気の治癒に専念してほしいものです。いつか必ず花は開きますからね。

児童虐待の解決は火急を要するテーマです
2019/02/12
細々と鉢の中で根を張っていたペコニアを窓辺に置いてから2ケ月経ちました。土が乾いた頃に水をやっていたせいか、細い茎ながらも倍近くに伸び、小さかった蕾も遂に開きました。それが昨日の写真ですが、冬場の鉢植えは、手をかけすぎると根腐れになるしかけなければ枯れるしで、今までに何鉢もダメにしたことがありましたので、やっと咲いた1輪の花が可愛く思えます。でも、鉢植えでさえもそうなのに、どうして人間は可愛い我が子を虐待できるのでしょうか。
今回の女児虐待については多くの《自己保全》が見え隠れしています。「ひみつにして、だれにも見せません」とまで言い切った学校が父親にアンケートの存在を伝え、教育委員会までもが「恐怖におびえて」コピーを渡し、「同意書は書かせられたもの」ということを知りながら親元に返し、しかもその後訪問することさえしなかった児相。「娘が虐待されている間は、私は安全だった」と言うまで極限状態になっていた母親・・・。コメンティター達は「警察の介入が必要」と言っていますが、警察は実際に事件が起きたり事実認定がある時だけしか動けません。そのため、親が子どもを隠してしまえば事実確認が出来ず、無理矢理に室内に入って保護することは出来ないのが現状です。だからこそ、児童虐待に対しては「警察と協力すればいい」とか「児相に専門的知識のある人を増員すればいい」という《官僚的回答》でなく、もっと根源的なものまで掘り進んで解決策を見いだす必要があるのではないでしょうか。そして、それは「第9条の改憲」よりももっと大切で、しかも火急を要するテーマだと思いますが・・・。

町の名も川の名も、生活の一部です
2019/02/11
県の西部に位置する米子市では加茂川の呼称について紛糾しています。新しく整備した川を「加茂川」と命名して古い方を「旧加茂川」と呼ぶことに対し、昔から住んでいる人たちから「こちらの方が加茂川なのに、どうして《旧》を付けるのだ」と非難しているのです。確かに、ずっと昔から生活の中に根付いている川に《旧》を付けられたら、そこで暮らす人にとっては阻害されたように感ずることでしょう。そのため、「整備後の加茂川に《新》を付けて、昔から存在している方の《旧》を取るように」という主張も納得できるものがあります。「たかが名前一つで・・・」と言う人もあるでしょうが、川も住民の生活に根付いた存在そのものだからです。しかも、一方から《旧》を取ってもう一方に《新》を付けるということは、何も難しいことではありません。鳥取の市街地を流れている川(当寺の前にあり、『ふるさと』の小鮒を釣った川)の名前も、昭和9年に新しく整備された川の方を「袋川」と称してそれまで市街地を流れている方を「旧袋川」とされました。しかし、住民がそれに対して異議を唱え、「新旧の名前の変更については支障なし」というお墨付きを得て、《旧》をはずし、《新》をつける現在の形になった例が現にあるのですから。今はあちこちで新しい町名がつけられていますが、「名前も生活の一部」だということを自治体は理解すべきではないでしょうか。
ちなみに、当寺の今の町名は『瓦町』ですが、それまでは『川外大工町』でした。江戸時代に池田光政公の治世で従来の川の外側に新しく河道を作ってそちらを新しく『袋川』と呼び、それより内側を城下町としたことから、当寺があった場所は『川外』と呼ばれていた歴史的にも意味のある町名でしたよ。

お寺の敷居は高くないのです
2019/02/10
今月も半分近くが過ぎました。本当に「光陰矢の如し」を感ずることです。そして、時間が経つほど気になるのが今年の行事(予定)の準備です。4月には総代会があって会計関係や年間行事等について検討してもらいますので、そのために資料の作成に既に取りかかっていますが、当寺の行事については去年から分かっていてカレンダーにも記載していても組や教区の行事の内容と日程が不明のため、そちらはストップ状態です。
ところで、行事予定と言えば、当寺では毎月実施している淨宗寺仏婦研修会(法話は住職)以外にも春・秋のグランドゴルフ大会、夏の仏婦・仏壮合同懇親会、7月開催予定のコンサート(今年は邦楽)、12月の蕎麦打ち等いろいろなことを催していますし、それ以外にも《趣味の会》的に興味のある人が集まってパッチワークを作ることもしています。お寺というものはもともと門信徒に関係なく多くの人が集まって話したり、何かを学んだり、子ども達が遊んだりする《交流の場》《道場》であって、決して法事や葬式だけの場ではありません。その意味で昔は母も茶道を教えていましたし、活け花や書道教室の会場にもなったことがあります。また、数年前には絵手紙教室の場とすることを相談していましたが、これについてはその方が病気で亡くなられたために残念ながら中止しました。こう考えてみると、本当は「お寺の敷居」ってそんなに高いものではないのですがね。
(撮りためていた写真も今日のクリスマスローズが最後です。また何か探さなくては・・・)

死に出遭ったとき、住職として何が出来る?
2019/02/09
「時間は誰にでも平等である」とは言いますが、本当は人それぞれだと思っています。確かに進むスピードは世界共通でしょうが感覚的には《早い・遅い》がありますし、与えられた時間が長い人もあれば短い人もあります。そして、そのような事実の中で「今を一所懸命に生きる」ことに努力しているのは誰も同じです。しかし、それが思いがけない力によって突然に奪われることがあるのも事実です。その時、奪われた本人や身近な人の心には一体どんな感情が生まれるのでしょうか。悲しみ?怒り?それとも虚脱感?私の母も突然でしたが、気落ちした父の姿など当時のいろいろな状況に忙殺されて「感傷に浸る」ことなど出来なかったことを覚えています。ドラマなどでよく「忙しく動き回っている方がありがたい。その間は忘れることが出来るから」と言いますが、そんなことはありません。確かに「動き回っている間は思い出す暇がない」ということは実際にあるでしょう。しかし、その時間が永遠に続くことはなく、「それが途切れた時の反動はより強い」ということもあるのだということです。
住職という仕事柄、いろいろな方の《死》とともに残された人たちの思いにも出遭います。そして、その時どんな言葉をかければいいのかをいつも悩みます。「ガチガチの法話でいいのか」「その人の思い出は・・・」などですが、その苦悩こそが《住職》という任を背負った者に与えられた仕事の一つなのでしょうね。
(水やり後10日ほどでアマリリスが花芽を伸ばしてきました。どんな花が咲くのか、楽しみです)

「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」の気持ちですか
2019/02/08
昨日はヤワラちゃんに次ぐ期待の新星として登場し、見事に不振日本柔道界に金メダルをもたらした《野獣》こと松本薫さんの引退会見がありました。相変わらずの《天然ボケ》的な発言も出ましたが、何よりも「今は柔道よりも我が子が大切」との言葉に母親としての愛情を感じました。出産後に復帰して頑張っているS.ウィリアム選手の例もありますから「それは理由にはならない」と言う人も中にはいるかもしれませんが、事情は人それぞれ。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と言いたげだった雰囲気の「松ちゃん」。今は母親として子育てに頑張ってください。それにしても、「アイスクリームを作る」には驚きましたね。メディア側も一瞬声を失った雰囲気が伝わってきましたが、その後のアスリートとしての経験がアイスクリームにつながったことという説明に納得したようです。ただ、さりげなく(?)店の宣伝も入れるなど、松本選手らしい《ボケ》で締めくくられた「涙のない」「笑いばかり」の会見でした。しかし、子育てが終わったら、是非とも後輩達に「お告げ(アドバイスが正解でしたね)」をお願いしますね。

ユニセフの発表から願うこと
2019/02/07
ユニセフの発表によると、世界の子どもの5人に1人が1日210円にも満たない極貧状態の生活を送り、半数が320円未満の生活を送っているとのこと。中でも日本は(1兆円を超える国家予算が計上されていますが)「先進国の中でも日本の子どもの貧困率が高い水準にあり、政府の貧困対策は不十分」との批判も出ています。ドラマなどでは空腹に耐えかねた子どもが店先から盗んで逃げる品がたいていアンパンになっていますが、そのアンパンを買おうとすると100円を超えます。それが消費税10%になると、アンパン2個で1日の生活費がなくなります。しかし、それではとても必要な量とは言えませんし、生きていくためにもっと必要なものがあります。昔から「衣食住」と言われますが、何よりも「愛されている」という実感が子どもには必要ではないでしょうか。アメリカのドラマに『大草原の小さな家』というものがありますが、そこに登場するインガルス一家の姿こそが《温かく幸せな家庭》に見えるのは、果たして私だけでしょうか。また、消費増税対策としてある水準以下の生活状況の者には補助金を支給する案もありますし、1日の食事も満足に出来ない子どもたちのための《子ども食堂》というものもありますが、羞恥心と自負心があって、自分からそれに該当すると周囲に対して言える人が何人いるでしょう。また、自治体などは「広報で知らせている」と言いますが、それを知る機会さえ失われている者もあると聞いています。このアマリリスの球根が花を咲かせるために必要なものが水と太陽であるように、「温かい家庭」「幸せと感じられる世の中」という花を咲かせるために必要なものが一杯になり、もう二度と心愛ちゃんのような子どもを生まない世の中になってほしいものです。

梅から桃へ、そして桜も膨らんできました
2019/02/06
昨日の写真はたぶん《ヒカンザクラ》だと思います。ソメイヨシノに比べて花弁も小さい上に色も薄いのですがそれでもサクラには違いなく、見つめていると何かしらホッとするところは「大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」の歌人と同じDNAを持っているのでしょうね。今朝のニュースでは後楽園の梅が満開になっているそうですが、鳥取にも梅の里があります。後楽園と比べるのも恥ずかしいほどの小さな公園ですがそれでも数十本の梅の木があり、満開になると紅白入り乱れてきれいです。生け花では「梅は鋭く、桃は丸く、桜は賑やかに」と教わりますが、寒さ厳しい1月には凜とした梅が主になり、2月には桃を活けることが多くなります。なにしろ《桃の節句》も近いですからね。
ところで、《花》と言えば昔から桜(ソメイヨシノではなくて山桜)ですが、『万葉集』時代は梅のことでしたし、中国で《花》と言えば桃を指していました。《花》に対する意識も、時代や国によってずいぶんと違うものですね。

悲しい事件はもう二度と起こってほしくない
2019/02/05
昨日この欄を確認したところが、1月だけあって2月の『独り言』がありません。慌てて調べると、1月分の下にありました。新しくこの欄を設定したときに12月から下降すべきところを1月→12月の順で設定したために起こった現象でした。そのために今朝は12ケ月分の順番を全部置き換えるところから始めましたが、これが《時間無駄》なのか《新しい知識》なのかは、年末になって分かることでしょう。
ところで、一昨日の写真に載せていた玄関の桜は今朝見ると数輪が開花していました。今朝の新聞にも「市内の積雪0は今月も続く」とありましたので、このままいけば今年もまた桜の満開が早いかもしれませんね。毎日のように心愛ちゃんの事件が報道され、今度はそれを「見て見ぬふりをしていた」ということで母親も逮捕されましたが、一日も早くこんな悲しい事件がこの世からなくなり、満開の桜が与えてくれる楽しい春になってほしいものです。「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と逆説表現によって桜に対する心を強く表わした平安朝の歌人とは違って、心愛ちゃんはもう二度とこの桜を見ることが出来ないのですから・・・。

久し振りに《濃厚》なドラマを見ました
2019/02/04
昨日は北陸地方で例年より10日も早く《春一番》が吹いたそうです。この風が吹くと決まって目立つのが舞い上がる砂ホコリと火事のニュース。今朝早くのラジオでも火事とそれによる死者のニュースが報じられましたが、昭和27年の鳥取大火災もフェーン現象が広がった一因だったそうです。「火事とけんかは江戸の華」と言われた時もありましたが、同時に「地震、雷、火事、親父」という言葉もありました。もっとも、今では「地震、台風、津波、噴火」かもしれませんね。
ところで、昨日はケーブルTVで「戦後日本を創った男~吉田 茂~」という連続ドラマがあったので見ていました。吉田茂と聞いてもピンとこない人も多いでしょうが、戦後日本の現状から始まってマッカーサー司令官との直接交渉などドラマとはいえ実に息詰まる内容で、昨今のバラエティ番組にはない《濃厚さ》を感じたことです。
なお、ドラマの中で登場する人物には「田中」「麻生」「鳩山」「宮沢」等の名前がズラリとありました。彼らはその後の政界を支配していく面々でもあるのですが、ドラマの中での役どころと現在の政界を鑑みて、変な意味で《納得》したものです。

智頭宿の《雪まつり》は日本の原風景?
2019/02/03
昨日は如月にもかかわらず晴天に恵まれ、すべての運営が滞りなく進みました。もっとも、資料が2部不足とのことでコピーを頼まれましたが、こんな時に限ってコピー機が紙を吸い込んで印刷不能状態に。仕方なく事務室用の印刷機でしましたが、何しろ両面印刷のために上下が逆になったりして大慌てということもありましたが・・・。しかし、数日掛けて準備した椅子や机のセットも多人数で復元すると何と早かったことか。「女性パワーおそるべし」です。
昨日は智頭で《雪まつり》がありました。「今年は山雪だから大丈夫だろう」と思っていたのですが、暖冬による雪不足で相当数の雪を山から運んできたとか・・・。それでも、雪灯籠の中に点灯されたローソクの明かりが照らし出す景色は、さぞかし幻想的だったことでしょう。昼間は子ども達が雪合戦で楽しみ、暗くなると家々で提供される甘酒で冷え切った身も心も温かくなる智頭宿の《雪まつり》こそ、日本の原風景かもしれませんね。研修会の会所のために現地に行けなかったのが残念です。

研修会の本番です
2019/02/02
いよいよ今日は鳥取因幡組仏婦役員会と若婦人会の研修会の日です。会場の方も準備万端(?)で、本堂は全部で90脚の椅子が入りました。後は本番を待つだけです。もっともこれはあくまでも《仏教婦人会員》が対象の研修会ですから、本番では音楽機器の操作意外には住職の出番はありません。ですから、住職の仕事は会場の事前準備と終了後の片付けが主になります。特に鳥取では本堂でのご法事が殆どである上に明日もお参りがありますので、片付けは必死です。椅子を隅に置いてから絨毯を敷き、そこに再度椅子を40脚並べるだけでも大変なのに、ストーブも移動させたりしなければなりません。明日は腰が痛まなければいいのですが・・・。
さぁ、そろそろ役員方も来られますので、開始です。

本当に「衣更着」の寒さですね
2019/02/01
今日から2月。旧名では「如月」ですが、これが《衣更着》から来ていることはこの欄に何度も書いていますし、昨日の『海潮音』にもありました。この《衣更着》はその字のとおりに[衣を重ね着するほど寒い]という意味を持っていますが、如月初日の今日の感想は本当に「寒い!」の一言です。明日の鳥取因幡組仏婦研修会・若婦人研修会の会場が当寺本堂の上に大広間も昼食会場になっていますが、なにしろ報告では90名前後の人が一同に介するのですから会場作りに一苦労です。昨日は1日かけて花の生け込み(本堂・床の間・庫裡御堂・玄関)をし、同時に本堂の絨毯の撤去やストーブの移動に加えて大広間のセッティングもしましたが、今日はガランとした外陣に椅子を100脚近く並べる作業が残っています。焼香用の通路も必要ですし、狭い外陣に果たして100脚も設置できるかどうか心配です。
如月は寺族研修会の会場にもなっているのでバタバタの1ケ月になりそうですが、せめて除雪作業だけはご勘弁を!
(山門横の白梅は、まだ蕾状態です)

1月
掲示板の言葉は「下手な考え~」でしょうか
2019/01/31
今日の新聞にも同じ感想が記載してありましたが、1月の過ぎるのがなんと早かったことか。明日はこの欄もすべて2月用に切り替えなければなりませんが、『住職挨拶』や更新情報、果ては1月分の写真の削除等に時間が取られそうです。
ところで、今月のカレンダーの標語は「昨日生まれた怠惰な心は、今日振り返らなければ、明日はもっと大きくなる」と書いていますが、この標語は以前にもこの欄に書いていたように、数年前の当寺の掲示板にあったものです。退職前は何かと忙がしくて掲示板も2ケ月毎の書き換えでしたが、退職後は毎月書き換えるようにしています。それも出来るだけその時期にあった言葉になるように工夫していますが、これがなかなか頭を悩ませます。季節毎にどうしても決まったイメージがあるので、そこから生まれる言葉はどうしても似てきますから・・・。そのために過去の標語に同じような言葉がないかどうかを調べてから決めるのですが、苦心して考えたものよりもどういうわけかパッと頭に浮かんできたものの方がストンと腑に落ちるような気がします。要は「下手な考え、休むに似たり」ということなのでしょうかねぇ。
(1月最後の写真は、満開状態のウラク椿にしました。ピンクが緑に映えてきれいです)

熊にも劣る加害者たち
2019/01/30
「大晦日から元旦にかけて大荒れ」との予報で明けた今年も既に1月末。今冬は暖冬の予報通りに降雪もない中に過ぎようとしていますが、若桜や智頭では20㎝の積雪があるとのことで、それもまた嬉しいことかもしれません。というのも、智頭は今週末が『智頭宿雪まつり』であちこに雪灯りで彩られるのですから、雪がないと話になりません。結局「あるべき所にある」姿が一番ということでしょう。
ところで、新聞には相変わらず厚労省の問題が大きく扱われていますが、2面の隅っこには外国のトピックスが小さく載っています。今日のトピックスでは、アメリカの厳寒の州で行方不明になった3歳の子が無事に発見された時、「熊と一緒だった」と言ったそうです。その子は『熊のミーシャ』という本が好きだということで周りでは「その熊を友達のミーシャだと思っているのだろう」と言っていたそうですが、イジメやハラスメントをして《自己優越感》に浸っている人たちにこの熊の爪のアカでも飲ませたいものですね。

若いつもりでも71歳です
2019/01/29
71歳になった昨日、久し振りに吉岡にある温泉に行きました。《70年間のアカ落し》というわけではありませんが、それでも両親を見送った後の35年間は、今から考えると苦難続きだったように思います。そして、それを乗り切れたのは周りの人たちの助力とともに結婚してまだ数年後の子育ての中で介護と別れをともに経験してくれた坊守の存在があったことは否定できません。
最近は熟年離婚という言葉が流行っていますし、「相手の介護をする」と答えた者は男性が多いのに対して「一緒の墓に入りたくない」と考えているのは女性が多いという調査発表もありますが、この結果はそれぞれの体験が基になって出たのでしょう。しかし、少なくとも私の父は(母を見送った後)酒の勢いがないと眠れない日が続くほどの悲しみようでしたし、そんな父の心を癒やしたのが2人の孫(当時年長の息子と2歳の娘)の存在でした。
「『人の間』と書くとおりに人間は1人では存在出来ないものであり、そんな自分の欠けている部分を補ってくれるのが夫婦であり子どもでありそして仲間である」という言葉が正しいことを実感し続けている今の私です。

ニュースの目指すものって何だろう
2019/01/28
とうとう今日から同期の仲間と同じ71歳の仲間入りです。もっとも、年齢では絶対に追いつけませんがね。私は7人兄姉の末っ子として生を受けましたが、母はすぐ上の姉の時に「腹膜炎に罹って死にかけた」そうですので、私が生まれることはなかったとも言えます。それでもこうして生きているのですから、正に「生かされている」ということになるのでしょう。
ところで、昨夜6時の(NHKラジオ)ニュースで最初に流れたのが「《嵐》が『2020年12月31日で活動停止』と発表」でした。確かに《嵐》は紅白歌合戦の司会をしていたこともあってNHKにとっては大切なグループかもしれませんが、その次のニュース内容と比較しても「どうしてこのニュースがトップ?」と不思議に思ったものです。そもそもニュースは国民の生活に密接に結びつくものの方が重要だと考えていますが、私には《嵐》の活動停止がそれほど国民生活にとって重要なこととは思えません。これはあくまでも私個人の意見であって他に強要するつもりはありませんが、そのように考える私は「器が小さい人間」なのでしょうかねえ。
(今日の写真は、ひっそりと咲いている赤の侘び助椿にしました)

70歳も今日までです
2019/01/27
我々昭和22~23年生まれは《第一次ベビーブーム(団塊の世代とも)》と言われた世代で、高校時代は1クラス平均54名×15クラスでしたから、1学年で850名いました。そのほとんどが71歳を迎えていますが、私は早生まれのために半年遅れで明日が71歳の誕生日です。この年になると特に嬉しいとは思えませんが・・・。そのような歳になると、やはり気がかりなのは運転です。今は特に何も意識しないで運転していますが、ご門徒には「出来るのもあと10年くらいですかね」と言っています。
ところで、私も法務に行く時は40年以上も布袍姿で運転しているので気になっていた「布袍姿での運転で違反切符」という出来事が、結局「運転の支障があるという証明は不可能」ということで不起訴になりました。不起訴ですから合法と認められたということではないのですが、どちらにしても「運転する側はいつも以上に注意を」ということなのでしょう。最近は80代の人による事故が盛んに報じられていますが、それを《他人事》としない心構えが私たちに求められているのですね。

《終末時計》がまた「残り2分」になりました
2019/01/26
大雪注意報が出ています。山沿いを中心に60㎝、平地でも20㎝の積雪が予想されるとのこと。明日の連研は7月の台風で出来なかったテーマを講義することになっているのに今度は大雪注意報ですから、、明日はどうなるのでしょうかねぇ。境内は除雪機で雪は何とかなりますが、問題は駐車場。何しろ市街地の中心に位置する当寺のために周りは住宅地で、雪を飛ばすところがありません。そのため、駐車場の除雪をしても1/3近くは吹き飛ばして出来た雪の山になります。機械の方はオイル交換もして万全ですが、明朝の短時間で全部除雪できるかどうか不安です。
ところで、不安と言えば米紙『ブレディン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』が発表した《終末時計》が3度目の「残り2分」になりました。これは地球最後の日までの時間を世界の緊迫状態から概念的に導き出した時間ですが、最初は1953年の米ソの冷戦中で2度目が1年前のトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩労働党委員長との挑発的な発言による緊迫状態、そして3度目が今回です。わずか1年間に2度目の異常事態宣言ですが、その原因の殆どがトランプ大統領に関わっています。イラン核合意からの離脱や米ロ中距離核戦力廃棄条約の破棄、地球温暖化をフェイクとしてCO2排出規制を拒否したこと等・・・。今年4月を最後に「平成」が終わって新元号となる年ですが、年末に発表される漢字が《災》から《滅》に進むことがないことを祈るばかりです。

連研会場の風景です
2019/01/25
昨日はご葬儀の後に寺参り(還骨勤行)がありましたが、本堂は連続研修の会場としてセットしてありましたので、一口法話に入る前にそのことを謝ってから話に入りました。もっとも、お通夜の時に思い出話等はしましたし、御葬儀後は皆様が疲れておられることもあって短くしましたが・・・。
当寺は何度か書いたように昭和27年の鳥取大火ですべて焼失した後の区画整理で殆どの境内地を没収されたため、本堂も小さくなって今回のように机を入れると40人がせいぜいです。それでも机は特注した2人用のものですのでなんとかセットできていますが、これが市販されている長机なら無理です。分科会の会場と昼食の部屋は庫裡の2階ですので、午前中に予定されている鳥取因幡組仏教婦人会研修会の打ち合わせが始まるまでにその準備も完了させておく必要があります。当寺は駅から徒歩で10分かからない距離にあって近くに市営駐車場もあるため、冬場の研修会会場としてよく使われますが、今回は参詣者用の駐車場も14台分になりましたので、何とかなるのではないかと・・・。写真がその会場風景です。

体調管理をしっかりと・・・
2019/01/24
昨日は連研関係の費用を引き落とした後で供花の購入に行き、午前中かけての花生け。生け込みは水の関係から廊下ですので、いくら天気がいいからと言ってもやはり冬です。おまけに水も冷たく、終わる頃には手がかじかんできましたが、きれいに活けられた花を見ると気持ちも嬉しくなります。
寺前の道路から塀越しに見えるウラクツバキが満開になっていたり、山門内の公園側に薄ピンクの椿が満開になっていたりと、ここ数日の暖かさで椿たちも一斉に咲き誇っていますが、昨日とはうって変わって今朝の空気は冷たく、納骨堂の鍵を開けに出たとたんに身体がすくみました。このように寒暖の差が激しい時は風邪を引きやすくなるもので、新聞にはインフルエンザで休校(学級閉鎖も)になった学校がいくつも載っています。かつてはスペイン風邪のように多くの死者を出したものもあり、「たかが風邪」とはとても言えません。今冬は(初めて受けた)予防注射のせいかまだ風邪を引いていませんが、以前は喉をやられてまったく声が出なくなってしまったこともありましたし、71歳を4日後に控えた今だからこそ、「まだ若い」と過信せず《体調管理》をしっかりとしなければいけない年齢になったことを実感する今日この頃です。
~外ではメンテナンスを終えた除雪機が手持ちぶさたで留まっていますが、これが活躍する時が今年はありますかねぇ~

新成人の気持ちを汚す事件と犯人の幼い心理
2019/01/23
今週末の日曜日は会場を当寺にしての連研ですが、テーマは台風で出来なかった7月の「釈尊について」です。したがって、講師も問題提起者も7月の担当住職ですので、私は会場提供のみ。しかし前日は姉(一周忌)と甥(7回忌)の法事で県外に行く必要があって準備が出来ないため、本堂の準備は月曜日に済ませました。しかし、まだ分科会の会場準備と花生けが残っていますので、金曜日までは気が抜けません。
ところで、去年の成人式は《はれのひ》の事件で大騒ぎでしたが、今年も東京で複数の晴れ着にソースをかけた若者が逮捕されるという事件がありました。生活に対する不安とストレスが原因だということですが、青年心理学では「青春期は精神的に怒濤の時代」と言われています。そのような時期を無事に乗り越えるために必要なものが人生の先輩としての大人の意見や忠告ですが、今の若者たちはそれを「しつこい、無駄」として耳を貸さないとも言われています。一生に一度の晴れの日を汚された女性の気持ちを考えず「ストレスが晴らせると思って…」と言った若者は、スマホばかりいじっていて人と目を合わせて話すことが出来なくなった現代の若者の一例かもしれませんね。

カタカナ語の氾濫は日本文化の崩壊?
2019/01/22
昨日の夕方近くにメールの不具合で連絡を待っていた会社から電話。しかし、話を聞いてもサッパリ《言語》が分からず、そのことを言うとついに「どなたか(話の)分かる方はおられませんか」と・・・。その後しばらくして副住職から「メールが出来るようになった」という連絡を受けて一安心でしたが、どうして《(自分が)分かっている》人というものは他人もすべて分かるものだと思うのでしょうねぇ。もっとも、教員時代を振り返って考えてみると、「自分もそうだったのかも・・・」と反省しきりですが。
10日ほど前、「日本の新聞にはいかにカタカナ語が多いか」という記事が載っていました。数社の新聞を調べたところ、カタカナ語は実に300以上。その中には日本語に言い換えるのが困難なものも数多くあったり、わざわざ日本語の解説が点いていたりしていたものもあったそうです。「こんなことなら、最初から日本語で書けばいいではないか」という筆者のまとめには諸手を挙げて賛成するとともに、「カタカナ語を多用する人は、自分の自信のなさを隠そうとして《教養をひけらかそうとする》人だ」と書かれていた本の一節を挙げて、イソップ童話のキツネのような(PCの分からない)私のグチとします。
ところで、以前に小池知事が《遺産》という意味で「レジェンド」という言葉を盛んに使っていましたが、これは「遺産相続などで次世代に引き継がれていく土地や金銭等の財産」という意味であって「先人から連綿と引き継いできた文化等の遺産」の意味ではないので、「築地は後世に残さなければならない《食の文化》としてのレジェンド」の真意が分かりづらいのですがねぇ。

三浦雄一郎氏、登頂はドクターストップでした
2019/01/21
三浦雄一郎氏の登頂が《ドクターストップ》で終わりました。高くなるほど逆に酸素濃度が低くなることに加えて心臓に持病があるとなると、登山にはどうしても無理が生まれます。その中での単独登頂ですから、医者の指示を素直に聞いた三浦氏の判断は正解でしょう。
かつて悪天候のために頂上を目の前にしながら引き返した英国の隊がありましたが、その決断をメディアは「勇気ある撤退」とたたえました。しかし、《勝利至上主義》や《仕事の完遂》を掲げる者にとっては「撤退は敗北であり、恥でもある」と考えられ、部下や部員を叱咤激励するということをよく耳にします。その結果、彼らの奮起を促して成功することがある反面、逆に壊滅状態に追い込んでしまうことがあるのも事実です。八甲田山の事例は映画でも知られていますが、近くには昨年の日大アメフト部員の例も同じでしょう。人はとかく自分の目の前しか見ていないのであり、常に「自分が正しい」という意識に縛られているために他人の意見に耳を傾けることをしません。世の中は自分だけで成り立っているのではないし、自分一人では《人間》にさえなれないものなのですが、悲しいことにそのことを考えない人が多いというのも事実。そのような中で今回の三浦氏の判断は正しいのですが、「80歳を超えてなおかつ実行する意思と体力には感服しますが、もう少し年齢を考えてもいいのでは?」とも思いたくなる71歳の私です。(これは嫉妬ですかねぇ)

大寒の中に共通一次が始まりました
2019/01/20
1月も既に2/3が過ぎ、今日は24節季の大寒です。昨日とは打って変わって朝から雨模様ですが、それでも《氷雨》とはとても呼べない雨ですから、これで大寒とはとても信じられません。しかし、受験生にとっては雪よりもいいのかもしれませんね。今日と明日は大切な共通一次ですが、これも数年ごとにその内容が変わり、次は英語と国語(小論文)に民間業者を参入させるとか・・・。私も高校入試の採点を30年以上しましたが、作文や漢字の採点にはいつも頭を悩ませたものです。
ところで、日本人は英会話が苦手で、外国の人に話しかけられたら尻込みしてしまうのが一般的ですが、その原因はいくつかあるようです。たとえば、授業で教わるだけでは外国の人の会話に耳がついていかない(聞き取れない)のもその一つです。授業と実際の会話とでは話すスピードも違いますし、それに発音もまったく違っています。たとえば日本語の「バレーボール」も正しい発音は「ボレーボール」ですし、料理人を示す「コック」も正確に「クック」と発音しなければ性的表現となって殴られます。最近の政治家達が《いいカッコ》して英単語を会話に混ぜて使っていますが、実は逆に外国の人には「何を言いたいのか分からない」そうです。テストの点数がいくら高くても《正しい日本語》が使えない人は世界では通用しないということを認識することが第一なのですがねぇ。
とにかく、受験生諸君!合格を祈って千両の写真を載せますが、くれぐれも《頭でっかち》な人で終わらないようにしてくださいね。

母も『椿の森』を考えていたのかも・・・
2019/01/19
今まで使っていたメールが一時的に受信可能になりましたが、その後はやはり受信不能状態に・・・。何とかしないといけないのですが、つくづく《PCオンチ》が悲しいことです。
ところで、昨日の新聞にあった本の紹介記事で『椿の森』の内容を読んでいくと、亡母が植えた椿のことが懐かしく思い出されました。今から40年近く前は若桜橋の下に植木市がありました。特別なテントが立つわけではなく、ただ数多くの植木が土手や階段に並べられていただけですが、毎年のように母がそこから植木を買ってきて、あちこちに植えていました。時には母を連れて智頭までドウダンツツジを買いに行ったこともありましたが、その頃になると体力の関係から植えるのは私の役目。しかし、もともと植えるのに適した場所は少ないので、今では何種類もの木々が互いに身を寄せ合っている状態です。その結果というわけではないでしょうが、10年以上前には大きくなりかけていた夏椿(沙羅双樹)も枯れてしまい、ガッカリしたこともありました。
高校から戻ったときに机の上にあったヒマラヤ雪割草の植木鉢。これは庭に咲いていたものを母が鉢植えにしてくれたくれたものでしたが、きっとその時の印象が私を今のような《花好き》にさせたのでしょうね。(2週間前は蕾だった蝋梅が開きました)

PC頼りになって困っています
2019/01/18
年末からデスクトップPCのメールが送受信できなくなり、調べてもらったら「パスワードが変わっている」とのこと。変更した覚えもない上に他のPCでは送受信が出来るため、このPCだけパスワードを変更することをせずに使えない状態でいました。しかし、やはりそれでは困るので、やっと昨日パスワードを変更して動くようにしてもらいましたが、今度は《お気に入り》として画面横に出していたものが隠されてしまい、このHPを打つのも一度のクリックで済んでいたものが《必要項目を探す》ところから始めなければならなくなりました。なにしろ《PC音痴》ですから、使いやすいようにしていたものが急に変更になるとパニック状態です。今の子ども達は幼稚園児の頃からPCに精通し、今までは年寄りの方が経験や知識が豊富で子ども達に教えていたのに、今度は逆に年寄りが子ども達から教わらなければならない時代になりました。しかし、PCの操作が容易になってどんなことでもPCですぐに分かるようになっている今、中学生でも辞書が引けない(そもそも、辞書を持っていない)そうです。なにしろ、クリックひとつで必要なもが出てくる今、開いている辞書のページが行きすぎたのかそれともまだなのかを理解する必要が無いのですから・・・。こうなると、もう《進化》と言うよりも《退化》だと思うのですがねぇ。

阪神大震災から24年。今年は25回忌です
2019/01/17

今日は24年前に起きた阪神大震災の日です。早朝に起きた激しい揺れで飛び起きましたが、玄関に置いていた水槽から水が揺れのためにあふれ出していたのを覚えています。あの日は30㎝ほど積もっていた雪の重みで本堂の揺れが押さえられたためか、すぐに行った本堂では仏具に被害がなくて安心しましたが、TVではあちこちで上がっている火柱やうねっている道路等が中継されていました。昼頃の報道では高速道路から車体を半分乗り出しながらも留まっているバスの姿などが映し出されましたが、三宮の中継では数年前に出張(大学訪問のため)で行った場所でしたので、余計に感慨深いものがありました。
震災の10年後の新聞には「あの年に生まれた子どもが10歳になったか、震災のことは何も知らない。このまま行けば、震災の記憶が風化するのではなかろうか」という記事が載っていましたが、24年前ということは今年が25回忌ということです。被災した殆どの人が早朝に行われる《鎮魂の集い》の参加に体力的に無理の利かない歳になったため、今年が最後の集いになる地区も出てきました。戦死した兵士の洞窟を若者達が荒らした沖縄の事件も、悲しい事実の《風化》が原因でした。阪神大震災の記憶を風化させないようにするのは、それを知っている我々の責務です。
(今年の行事予定表、3月まで載せています)


燃え尽きるか、くすぶったままか
2019/01/16
昨日の当宗の仏婦研修会では「小正月」から「小豆正月」や「女正月」に話を進め、更に《とんど焼き》の意味や小豆が使われる理由などを話しながら、最後には「このような行事の意味も、大人が子どもに伝えないから忘れられていく」と言って、「せめて『いただきます』『ありがとう』『ごめんなさい』という言葉だけでも、その意味や大切さを伝えていってほしい」と締めくくりました。もちろん親鸞聖人の御正忌や通夜法話のことも話しましたが、法話の後に通夜法話のことを聞きに来られた方があったのがありがたかったことです。
ところで、昨日の午後はスポーツ界に注目すべき2つの出来事がありました。錦織選手は出だしの歯車がかみ合わなかったのか「まさか敗退?」と思わせる試合でしたが、さすがに3セット目で立て直しができて逆転勝利。しかし、それに比べて稀勢の里関の方は土俵際まで押し込まれた時の粘りがなく、あきらめに似た表情が強く目に残りました。これで今場所も3連敗(通算8連敗)である上に審議会からの指導もあり、引退かもしれません。何ごとも引き際が大切だとは言われますが、土俵を割った時の表情が「燃え切った」というものでなくて「あきらめ」に似た表情だったことが、稀勢の里関の辛さを痛いほど感じさせることです。そのせいではないでしょうが、今年は当寺の水仙もなぜか蕾を付けていません。

今日は『小正月』です
2019/01/15
毎月の15日(土日と重なれば、その前後)が当寺の仏教婦人会研修会の日です。そのために今日が平成31年最初の仏婦研修会で、読経と講話の後に小豆ぜんざいが出ます。しかし、実は今日は『小正月』で別名『小豆正月』とも呼ばれる日でもあるので、その日に小豆を食べるのですから、「今年1年はいいことがあるかなぁ」と思いたくなりますよね。
ところで、この『小正月』の行事は全国各地にあり、その中でもよく見られるものが《とんど焼き》と《粥占い》でしょう。正月の間家にあった注連飾りなどを燃やして年神を送ったり、「その火で焼いた餅を食べると、1年間病気に罹らない」と言われる《とんど焼き》。またこの日はいにしえから養蚕や農作業に関する日でもあるため、繭玉を飾ったりその年の吉凶を占うための《粥占い》(倉吉で行われた今年の《粥占い》はあまりよくない結果だったそうですが・・・)もあります。それともう一つ。この小正月は別名『女正月』とも呼ばれ、大正月に忙しく動き回っていた女性達を休ませるための日ということで、家事一切を男がする地方もあるそうですよ。
もともと小豆の煮汁で作ったものは赤くなりますが、その赤色が吉事を表わしたり悪霊を退散させる力があるということからも、祝い事に赤飯を炊くことがあるのですから、今日の小豆ぜんざいをゆっくりと楽しんでほしいものです。

《福》は誰に訪れる?
2019/01/14
昨日は樗谿(おうちだに)神社に下帯1枚の男達が集まって今年1年の福を求めて《福木》の奪い合いがありました。このような祭は岡山の裸祭を初めとして日本のあちこちで見られますが、中には個人の《福》を求めるのではなく、若者達が集まって「村のため」に厳しい修行をしたり寒風吹きすさぶ中を海水で《みそぎ》をするものもあります。個人の《福》を求めるかそれとも《村全体の福》を求めるかはそれぞれでしょうが、先日あった西宮神社での福男を選ぶ行事の中で面白い(失礼)報道がありました。「本当に福がくるのか」ということで、昨年の《1番福》になった人と《2番福、3番福》の人に彼らの1年間を聞いたものでしたが、2~3番福になった人たちは確かにそれぞれいいことがあったとのこと。しかし、肝心の《1番福》になった人は第一志望に落ちて浪人中だったり、車の当て逃げ(しかも2度!)に遭ったりとさんざんだったそうです。それでも家族にはいろいろと《福》があったということで、神社側の「福は自分だけでなく、周りの人たちにも分け与えられます」との言を納得していましたが・・・。
初詣では殆どの人が「今年1年、いいことがありますように」と願いますが、あるかないかはそれこそ《神まかせ》。そういえば、「幸せな人生のためのアイウエオ」というものがあります。それは『愛・運・縁・恩』だそうですが、今年はその4つを大切にしてみたらいかがでしょうか?


「国民の祝日」の意図に当てはまらない祝日
2019/01/13
明日は『成人の日』ですが、この欄で毎年書いているように、違和感があります。もともとは1月15日であったものを、「連休があれば、家族旅行等が可能になる」という馬鹿げた理由のもとに第2月曜日に移行させた《ハッピーマンデー法》によるものですが、その法案が提出された元々の原因は、欧米諸国から「どうして日本人は働いてばかりなのか」と言われたことにあります。日本人がこのように働くのは日本人特有の勤勉さにもよりますが、「戦後日本の復興」を目指して必死に働いてきた先人の苦労の積み重ねもあったはずです。それを諸外国から「日本人は働き過ぎだ」と言われたことに萎縮して《ハッピーマンデー》なる法案を通してしまった結果ですが、1月15日は『小正月』であるとともに、武家社会において前垂れであった子どもが初めて髷を結って一人前と見なされる日でもありました。そこからこの日を『成人の日』と定めたのですが、確かに江戸時代の風習を現代社会に当てはめていることには異議があるのかもしれません。しかし、「連休になれば、家族で旅行も出来る」という理由付けの方が馬鹿げていると思うのは、果たして私だけでしょうか。これと同様に、平成12年まで10月10日であった『体育の日』にも国民の祝日となるべき立派な理由があったのですがねぇ。
(本棚に飾っているこけしや人形を見ていると、懐かしい思い出が湧いてきます)

「反省」って、誰に向かっている言葉?
2019/01/12
政府の「毎月勤労統計」や昨年の公文書改ざん、そして今回の《純烈》グループメンバー。いつも何かが表に出ると関係者の「反省しています」という言葉で締めくくられますが、《反省》という言葉に対して今日の新聞に載っている養護教諭の意見は痛烈です。
これは過去に小学校に勤務していた養護教諭と子ども達との触れ合いとそれに対する学校(教員)側の差が連載で描かれているものであり、《荒れた小学校》を生み出した原因を養護教諭という立場で振り返ったものですが、今日の内容は、子どもに対して行った体罰とそれが勘違いだったことを絶対に認めなかった校長と担任が、やっと子ども達の前で「反省している」と謝ったものでした。しかし、「『反省』という言葉は単に自分に向かっているものであり、子ども達には向いていない。ここでは子ども達に向かって『悪かった。申し訳ない』と言うべきだった。子ども達からは『何を反省しているのか分からない』とか『大人が信用できない』といった言葉が出ているのも、子ども達を軽く見ているからだ」といった言葉が記されています。
何度も耳にした言葉であり、自分自身も口にしたことがある《反省》という言葉。しかし、それが「自分に向かっているものであって、相手には向かっていない」というこの養護教諭の忠告を、誰もが胸に刻みつけていたいものですね。
(このこけしは、40年以上昔に旅行先で買い求めたものです)

間違いも使ううちに正しくなる怖さ
2019/01/11
法衣での運転違反(罰則金問題)について、「こんなことも出来る」という僧侶の投稿がTVでも放映されていましたが、今日の新聞にもそれが載っています。記事の是非は別にして「浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺」とある部分に疑問を感じました。本山の正式名称は『龍谷山 本願寺』であって『西本願寺』は通称なのですが、「この書き方では西本願寺が正式名称と思われるのではないか」と感じたからです。
鳥取因幡組の連続研修は今回が第10期ですし、当寺の仏婦研修会もここ数年間毎月開催していますが、今もって西本願寺・東本願寺という名称が単なる方位上の区別だということを知らない人が多いのです。実は、京都駅前の烏丸通りとその西に位置する堀川通りにある本願寺寺院をそれぞれ「東側にある寺院だから『東本願寺』、西側にある寺院だから『西本願寺』と区別して言う《通称》」なのですが・・・。正しいことを理解した上で通称を使うならばいいのですが、何も知らないままに使ううちにそれが正しいものとして通用してしまうことの怖さは、今回のデタラメな労働賃金調査の数字にも如実に表わされているのではありませんか。
(裏庭の白い万両、今年は実が少ないようです)

山茶花と椿、そしてそれぞれが散った後
2019/01/10
この欄の写真にピンクの椿を続けて載せましたが、今まで咲いていた白玉椿に比べてやはり色の付いたものは明るい気分になりますね。一昨日は八重椿で昨日は単衣の椿(ウラク椿?)ですが、他にも白にピンクの斑が入った椿も咲いています。これらの椿はすべて茶道を指導していた亡母が床の間に行けるために植えていたものですが、10年程前に植え替えした何種類かが枯れてしまったので、今は種類が少なくなっています。それでも10種類以上あると思いますが、咲く時期も違う上に同じ種類のものもあちこちに生えているのでなかなか確認が困難ですが、当寺に生えていないのが白の侘び助だということはハッキリしています。
ところで、この冬場に咲くものに山茶花があります。椿と山茶花は似ているようでもすぐに区別できますが、一番違うのは花の散り方でしょう。山茶花は花びらがバラバラになって散るのに対し、椿はそのままポトリと落ちます。そのことから武士が嫌った花になっていますが、根元に散った椿の花弁が少しずつ黄色くなっていくのを見ていると、それまで美しく咲いていた花が思い出されて寂しくなることです。その中で、庫裡の西側では今年が《成り年》の八朔が鈴なりになっています。(酸っぱいものが苦手な私は見るだけですが・・・)

現地に行ってこそ分かるものもあります
2019/01/09
今朝のTVで、去年あった「法衣での運転に罰金。支払いを拒否」というニュースを取り上げて解説していました。肝心なところでCMになってしまいましたが・・・。
ところで、先日はカンヌ国際映画祭での発表があって残念ながら日本の2作品は選ばれませんでしたが、昨年の『万引き家族』を含めてここ数年の邦画には何かしら訴えるものが見られます。そして、今日は戦後まもない時に沖縄戦におけるひめゆり部隊の悲しみを描いた映画が発表された日でもあります。私も教員時代に1度だけ沖縄に行ったことがありますが、彼女たちが傷病兵を看護していた活動場所が地下だったということを初めて知り、驚いたものです。また、米兵から逃げた人々が海に身を投げた《象の鼻》と呼ばれる断崖や摩文仁の丘に建てられた戦没者の慰霊碑等、それこそ現地に行ったからこそ知らされたものも数多くありました。その経験から、両陛下が沖縄を何度も訪問されて各地で詠まれた歌に込められた気持ちが痛いほど伝わってきます。あの激しい悲しみに耐えながら生きてきた沖縄の人たちの気持ちを我がことのように捉えておられた両陛下に比べ、「国民に寄り添って」いない今の安倍総理には、是非ともひめゆりのことを描いたこの作品を観てほしいと思います。
(昨日と今日の写真は、同じピンクでも別の種類の椿ですよ)

今週のセンター試験に必要なものは、体調管理ですよ
2019/01/08
昨日の七草の中に「すずな」と「すずしろ」がありますが、教員時代には「これは蕪と大根のことで、文字数で区別すると簡単だよ」というように教えましたが、ほんのちょっとしたテクニック(?)で記憶できるものです。これを使ったものが「ひとよひとよ ひとみごろ ふじさんろくに おーむなく」とか「いい国つくろう 鎌倉幕府」等がありますが、似たようなものは高橋ともやの『受験生ブルース』にも使われていました。私も高3の時に進学コースによってクラス分け(私は文系)されましたが、それまでの2年間で全教化一通り授業がありました。数学では数Ⅲまでありましたし、理科でも4科目(生物・化学・物理・地学)全部の授業がありました。当時の大学受験は5教科(国社数理英)全部でしかも理科と社会は2科目ずつあり、センター試験のない《一発勝負》の時代でしたので、大変でした。おまけに当時は《ベビーブーム》と言われる時で、私のいた高校でも1学年に850名(15クラス×平均56名)いました。それが全国から受験に集まるのですから、鳥大農学部の倍率が31倍になって、文部省(現・文科省)から「小数点を打ち忘れていないか」という質問まであったとか・・・。
今週末にはセンター試験があって今頃は受験生も必死でしょうが、私の経験からも「授業で習ったことか頭に入っていれば、大丈夫」と言えます。だからこそ、受験の先輩として「今はカリカリするよりも、先ず体調を万全に」と忠告しておきます。

真冬に露草が!?
2019/01/07
今日は七草ですが、この7種類は『万葉集』の山上憶良の短歌(和歌という言葉は平安期から)に「せりなづな・・・」とありますから、秋の七草とともに歌で覚えた方が簡単です。
ところで、昨年末から不思議に思っていることがあります。それは、遊歩道と車道とを分けている花壇に伸びている1本の植物です。露草に間違いないとは思っていますが、何故か紫色の蕾がついていて、それが1ケ月近くも冷たい風に吹かれたままなのです。「茎を切って室内に入れてやれば、暖かいので開くかなぁ」と思いながらそのままにしていますが、大体において露草はその名の通りに露が降りる頃に咲くものですから、「どうして今頃?」と不思議な思いです。去年の春は桜の開花が早くて入学式の時には既に葉桜になっていましたし、5~6月頃に咲くはずのツツジを10月中頃になって見かけました。また、冬には今まで市内では見かけなかったカメムシが室内にいた(誰かについてきた?)こともありましたし、とにかく去年は《異常気象》続きでしたが、まさか真冬の今頃になって露草(の蕾)を見るとは思いませんでした。これは、今年も《異常気象》の年になることの予言なのでしょうか??

なんと1匹が3億3360万円とは!
2019/01/06

「年末年始にかけて日本列島が寒気に覆われる」と言われながら、鳥取は雪がうっすらと積もっただけでした。しかし千歳空港は大雪で飛行機が飛ばず、空港に寝泊まりした人が1000人を超すとか・・・。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という標語がありましたが、そんな《狭い》日本でもこんなに違うのですね。
ところで、火事や交通事故などの暗いニュースで始まった今年ですが、恒例の魚市場の初せりでとんでもない金額が出ました。なんとマグロ1匹に3億3360万円というセリ値です。その金は当然に釣った人の手に(漁協にもある程度はいくそうです)渡りますが、その人の生活がおかしくならなければいいのですが。実際に、数年前に2億円近いセリ値になったマグロ釣り漁師は「夢よ、もう一度」ということでまた巨大マグロを狙いましたがまったく釣れず、「結局その金も《あぶく銭》的なものになった」という番組がありました。自分が苦労して手に入れたものではあっても、予想外の金額になれば何に使えばいいのか分からなくなる(金銭感覚が狂ってしまう)ということかもしれません。昔から言われる『身の丈に合った生活』という言葉も、悲しいことにバブル景気がはじけて以来どこかに飛んでしまったのかもしれませんね。
(松の横に生えている蝋梅に蕾がついています)


人間だけからこそ《意思疎通》が大切です
2019/01/05
菊池選手の移籍先がマリナーズに決まりましたが、会見はすべて英語で答えていたそうです。本人は「下手な英語で、聞きづらかったとは思いますが・・・」と謙遜していますが、最も感心したのは「高校の時からメジャーに行きたいと思っていたので、その頃から英語を勉強していた」という回答です。その理由が「相手が何を言っているのか分からないとか自分の思いが通じないのでは、相手に対して失礼だし、第一に自分自身が成長出来ない」(表現は違いますが)とのことでした。日本人には『以心伝心』という言葉があって「自分が言いたいことは表明しなくても分かってもらえるし、はっきりと言うことは失礼だ」という考えが昔からあります。しかし、そのことが逆に「日本人は何を考えているのか分からない」と受け取られる原因になっていることも事実です。また、日本の常識と外国の常識がまったく違います。そのことは他家を訪問したときやプレゼントを受け取ったときの態度にも表われています。日本では家に入る前にコートを脱ぐのが常識ですが、アメリカでは「その家に長居をする」意思表示のために厳禁です。また、プレゼントもその場で開ける(包み紙は破ってもいい)のが礼儀です。そのようにまったく違う生活習慣の中に飛び込んでいく菊池選手が「言葉が通じなければ、何も次に進まない」と考え、そしてその夢の実現のために高校時代から勉強していたということ。将来の夢を持ってそれを実現しようとしている子ども達は「大勢の中で自分が伸びていくのに一番必要なものは、コミュニケーション力だ」ということも知っていてほしいものです。
(本堂の裏にも千両がありますよ)

経験することも「忘れる」ことは時には必要ですが・・・
2019/01/04

年が改まったとたんに発生した熊本地震。3年前の地震を思い出して「1人でいるのが恐い」と言う人もあるそうですが、その気持ちは充分に分かります。《経験》が事の是非を左右することもありますから・・・。
人間にとっては確かに「忘れる」ことも大切なことです。「悲しいとか辛いという気持ちがいつの間にか忘れられて、楽しかった思い出だけが残っていく」ということは、誰でも一度は経験したことでしょうし、実際にお年寄りとの話ではよくそんなことを聞きます。また、「忘れるから、新しいことが記憶できる」ということもよく聞くことです。しかし、その人にとってどうしても忘れることが出来ないものがあることも否定できません。人によっては《戦争体験》かもしれませんし、《いじめ》ということもあるでしょう。そして、熊本の人たちにとってはそれが今回の地震かもしれません。阪神大震災の10年後の社説に「あの時に生まれた子どもが、10歳になった。しかし、この子達にはその記憶がない。このままでは、あの未曾有の大災害の記憶が風化してしまうのではないかと心配になる」とありました。「忘れる」ことは時には大切ですが、「知らない」ことは新しい悲劇を生むことにもなります。経験が次に生かされないのですから・・・。


お正月の思い出とは・・・
2019/01/03
今年の《3ケ日》も今日で終わりです。近年は元旦から開いている店もあったりして正月らしさがなくなっていますが、それでも毎年のように元旦の午後はゆっくりしながら2日になると新春花展を見にデパートの催し場に行っていました。しかし、昨日は時間的余裕がなくて花展に行けなかったのですが、その代わりに麒麟獅子を見かけました。よく漫画などに出てくる獅子舞とは「似て非なるもの」の麒麟獅子ですが、それ以外は福袋の初売りに群がる人以外には正月の定番とも言えるものをまったく見なくなり、寂しいことです。
ところで、子どもの頃の正月の定番と言えば《たこ揚げ》《獅子舞》《はねつき》そして《お雑煮》でしょうか。特に鳥取の雑煮は俗に言う《ぜんざい》ですが、亡父は京都生まれでしたから「雑煮はすまし汁だ」と言って小豆雑煮はほとんど食べませんでした。それでも、甘い物好きな子どもたちが喜んで小豆雑煮を食べているのは否定しませんでしたね。そんな父が好きだったおせち料理はクワイとごまめでしたし、よく「レンコンは見通しがいい。数の子は子だくさん・・・」などと料理のいわれを教えてくれました。
お正月になると、不思議と子どもの頃が懐かしく思い出されることです。
(今年の行事予定表は、正月が過ぎたらゆっくりと書くことにします)

標語は自分自身に対する《戒め》でもあるのです
2019/01/02
元旦会ではご門徒方と一緒に読経し、その後で抹茶と花びら餅で接待。帰り際には福引きを引いていただき、子どもや孫へのお土産としてお菓子の詰め合わせを持って帰っていただきました。いつも元旦会にお参りの方は多くありませんが、毎年のスタートですので、1人でもお参りの方があればありがたいことです。
ところで、当寺製作の今年のカレンダーには住職の描いたイラストとともに標語が書いてあります。これらは以前に掲示板に書いていたものですが、今月は「昨日生まれた怠惰な心は 今日振り返らなければ 明日はもっと 大きくなる」を選びました。平成31年のスタートを飾るのにピッタリ(自画自賛のところもありますが)だと思ったからです。なぜなら、標語というものは確かに周りの人たちを対象にしているものですが、同時に「自分自身に対する戒め」でもあると思っているからです。当寺の行事はあらかじめ分かっていますが、去年はその準備が遅くなるということが何度かありました。それをいつも歳のせいにしていたのも事実ですが、それが《逃げ口上》だということも分かっていました。そのため、自分自身に対する戒めという意味もあってこの標語を1月にもってきたのです。もっとも、この覚悟が1年間続けばいいのですが・・・。
(写真は、掲示板の下に生えている万年青です)

今年は「災」の1年になってほしくないですね
2019/01/01
昨日は数日に及ぶ元旦会の準備で疲れ果て、坊守ともども『紅白』も何も見ないで早々に寐てしまいました。このHPも以前からそれなりに新年に向かって準備をしていたつもりですが、今朝この『独り言2019年版』を記入しようとして「これでは写真も日付も入れられない」と初めて気づきました。テキスト欄の設定を間違えていたのです。そのせいで、5時30分に起き出してすぐに納骨堂を解錠し、その後に本堂とお内仏にお仏飯とお香をお供えしてから「いざ、HPを」と張り切って机に向かったのに、出だしから時間を取られてしまいました。元旦早々からこれでは今年1年が思いやられます。
ところで、平成最後の大晦日と午前0時を回って新年を迎えるその数時間の間に、各地で悲しい出来事が起きています。中には「目が合って馬鹿にされたように感じ、腹が立ったから」という自分勝手な理由で車をぶつけた者や、雪のために自損事故を起こした運転手とそれを路肩に動かそうと手を貸していた人がスリップしてきたトラックにはねられて死亡した事故。また、火事に巻き込まれて死亡した2人の子どものニュースなど早朝から暗いニュースばかりが飛び込んできましたが、新年早々このようなニュースでは、今年もまた「災」が選ばれる年になるのでしょうか。

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745